「すべてを支配しておられる神様」 ―主はあなたの造り主― 2

(2)「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(2節)

これは、有名な「天地創造」の創世記の冒頭の御言葉です。天地の創造の次第は、地は形なく、やみが大いなる水の上にあり、神の霊が水の上を動いている原初の状態から始まります。すなわち、カオス(chaos:天地創造以前の混沌とした状態)の状態に、歴史の始まりである創造主なる神だけが存在していたと聖書は語っています。
宇宙の最初の状態がカオスであったということは今日、科学者も認めていることですが、この状態から、世界は「神の言葉」によって、秩序へと向かっていったのです。そして、この混沌とした中に、「光よ。あれ。」という神の言葉が響いた時に、闇は打ち砕かれ光が生じ、更なる、神による創造と秩序の世界が広がっていきました。すなわち、神は材料も道具も用いずに、「神の言葉」によって創造を進められました。
この箇所を現代訳の聖書で見ると、より深い、聖書の真理に触れる思いがします。
「地球とは言っても、まだ形が無く、混沌としており、真暗闇で、液状であり、神の御霊は、あたかも雌鳥がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた。」  (2節)
神の恵みを体験したい、神の祝福に与かりたいと真剣に願うなら、私達は常に、「無からの創造」と呼ばれるものに挑戦しなければいけません。すべてのものの背後に神がいまし、神のみがいますという信仰(信じる力)に立たなければいけないのです。常に、この世界は神の世界であると信じ、世界を支配しておられる全能にして愛なる神様は、日夜、御自分に対して祈り叫ぶものに積極的に密接な関わりを持とうとしておられると信じなければいけないのです。
旧約聖書に登場する偉大なる「信仰の父」、アブラハムもこの信仰のゆえに称賛を受けた一人です。神には、無限の可能性があり、何でもできると信じた彼の姿勢を、「無から有を呼び出される神を信じたのである。」口語訳(ローマ 4:17)と記しています。
アブラハムに与えられた約束は、なかなか成就することなく、「約束の子孫」は与えられませんでした。しかし、彼は、不信仰によって疑うようなことをせず、無から有を生み出す神を信じ、信仰を通して、まだ存在しない自分の子孫、イサクを確認するがごとく、「望みえないときに望みを抱いて信じました。」(18節)
 「信仰とは望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものである。」  (へブル 11:1)
また、2節に使われている「覆っていた」という動詞は原典(へブル語)では「雌鳥が卵やひなをあたためる様子から来た動詞」だといわれています。このことは、たとえ創造の初め見えるところがどのような闇に閉ざされ、混沌としたカオスの状態であったとしても、ちょうど命を宿している卵やひなが将来に向かって成長する可能性を持っているように、世界は、神によって与えられた命を宿し、神の御霊と愛によって覆われていたということができるでしょう。
この創造の初めの出来事は、混沌とした21世紀、問題を抱えこんだ時代に生きる私達に、大きな希望と可能性を与えてくれます。すなわち、私達が、今どのように混沌とした現実の中に、問題や悩みを持って生きていようとも、もしイエスを信じ、「神によって与えられた命」を持っているなら、神様はすべてのことを御存知であり、ちょうど雌鳥が愛するものを覆うがごとく、御自分の愛で私達を覆い、叫び、求め、信じるものに、生きる力と希望を与えて下さるということです。
神の言葉(聖書の御言葉)を信じ告白(力強く発言)しましょう。積極的な神の言葉が語られる時、現実は変り、環境に変化と秩序が与えられ、私達に不幸をもたらすあらゆる悪の力からの開放が与えられるのです。約二千年前この地上に来られ、我々の罪の為に十字架に架かり、ご自分の死を通して、すべての病と問題の根源を断ち切って下さったイエスは、死から甦られ、今この時も、無限の愛を持ってあなたを覆っていてくださっているのです。この「無から有を生み出される偉大なる神様」に、私達の熱い祈りと願いをささげていきましょう。
「神様は、私に信仰の量りを与えて下さいました。その信仰は、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事例の証拠となるものです。私は神様を喜ばせています。神様が存在しておられる、ご自身を熱心に求める人に対して報いて下さるお方であると信じているからです。神によって生まれたものはみな、世に打ち勝ちます。私達の信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
もし私にからし種ほどの信仰があるならば、私は山をも動かすことができ、私にとってできないことはありません。私は信じているので、すべてのことができます。主よ、私は信じます。わたしを不信仰から助けて下さい。私は神様に信仰を持ちます。私は信仰の戦いを戦い抜きます。」
                       (「偉大な神、偉大な信仰」より)
「彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって、彼らに救うものたちを与え、彼らを敵の手から救って下さいました。」             (ネへミヤ 9:27)
   〔聖書引用は特別の記載をしていない場合新改訳を使用〕 (つづく) 

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