「人生の荒野を通して」

おおきな事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるように病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を楽しもうとあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにといのちを授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。
神のみこころにはそわない者であったにもかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中で最も祝福されたのだ                                 

この詩は、ニューヨーク市立大学のリハビリテーション研究所の壁に刻まれているものですが、作者は不祥とされています。ベトナム戦争で心身ともに深く傷つきながら、立ち直っていった若者の作とされています。
原題は、“A Creed For Those Who Have Suffered”。「苦難(悩みの中)にある者たちの告白(信念)」という意味ですが、私達の人生に於いて、本当に必要なものは何かを教えてくれる詩ではないでしょうか。
私達は、人生の苦難や問題に直面した時、「自分の問題解決のための祈りや願い」が、神様によってすぐに答えられたらどんなによいだろうと思わないわけではありません。しかし、まずは、神の御前に座し、神とのより深い交わりを求めて、神ご自身に飢え渇き、「祈りに導かれること」こそ、人生の危機に直面した時に私達のとるべき、最も大切な態度といえるでしょう。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」             (詩篇 119編71篇)

「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」   (詩篇 37編7節)

「そればかりではなく、忠難さえも喜んでいます。それは、忠難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性(練達)を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」    (ローマ 5章3~5節)
「人生の荒野」を通らなくては学べないことがあるのです。しかし、思いどおりにいかない人生、それは、しばしば、私達を謙虚にし、私達の目を、創造主(天地万物の造り主)なる主に向けさせ、いつも私達と共にいて、私達を変わらない愛を持って、導いて下さっているイエス様の存在に気付かせる良い機会となる場合があるのです。
そして、「イエス様との出会い」こそが、神を信じて生きることの大切さを私達に気付かせ、どんな境遇の中にあっても「希望は失望に終わることがない。」と言わしめる、イエスと共にある「感動的な人生」へと私達を導いてくれるのです。 
この詩篇の作者は、「求めたものは一つとして与えられなかったが」彼の最も必要としていたもの、すなわち、謙虚な心、命に感謝する心、神を求める心が与えられ、「わたしはあらゆる人の中で最も祝福されたのだ」と告白するに至りました。
 あなたも、ぜひ、「イエス様との出会い」を果たし、神と共に生きる人生を通して、生きる喜びと希望を見出されますように。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

(コリントⅡ5章17節)

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