石井十次に学ぶ

 日本には、クリスチャンが少ないと言われますが、歴史の節目に、しばしば、聖書の影響を受けた人々の活躍を見ることがあります。宮崎の地にも、その功績から「孤児の父」と言われている、岡山孤児院を創立した明治期の慈善事業家、クリスチャンの石井十次(1865~1914:宮崎県児湯郡出身)という人物がいます。 
 石井十次は、1865年(慶応元年)4月11日、高鍋藩士・石井万吉の長男として生まれ、17歳の時、宮崎病院長の荻原百々平(どどへい)医師と出会います。荻原医師より「医師になって多くの人を救ってみないか」と勧められ、十次は岡山県甲種医学校へ入学。同時に岡山基督教会の金森通倫牧師を紹介されて、キリスト教の世界観が十次の中で徐々に広がっていきます。金森牧師よりキリスト教の洗礼を受けたのは、十次19歳の時でした。 明治20年、岡山県邑久郡大宮村上阿知診療所で医学の学びをしている時に、四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かるのですが、このことがきっかけで、孤児救済事業へと導かれて行きました。預かる孤児が増えてくると、その資金集めに走り回る日々が続き、医者になるための勉強がほとんどできなくなりました。
 明治22年(1889)の正月「だれでも二人の主人に兼ね使えることはできない」(マタイ6:24)という聖書の一節を目にした十次は、「医者を志す者は他にもいる。自分の一生を孤児救済に捧げよう」と決心しました。十次はそのことを確認するかのように、6年間学んだ医学書などをお寺の境内で、燃やしてしまいました。 明治20年岡山に孤児教育会(後の岡山孤児院)を設立し、39年には1,200人にのぼる孤児を収容。(結果的に3000人以上の孤児を救済したとされています。)44年に宮崎県茶臼原に孤児院を移し、里親村づくりや孤児の労働による自立を指導しました。また、情操を豊かにするため「風琴(ふうりん=オルガン)音楽隊」を設立。 彼は、生涯を孤児救済にささげ、多くの孤児たちのために、まさしくキリスト者として「公」のために生きたキリスト教伝導者と社会事業家と教育家の全てを兼ね備えた救済事業家でした。
 十次の残した言葉に次のようなものがあります。「信じて疑うことなかれ、祈りて倦(う)むことなかれ。為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん」そして、この言葉の後半の部分が、平成28年1月、安倍晋三首相が国会で行った施政方針演説で用いられ、石井十次のことが広く知られるきっかけとなりました。 安倍首相は施政方針演説の「おわりに」という項で、次のように十次を紹介し、言葉を引用しています。「日本で初めての孤児院を設立した石井十次は、児童福祉への『挑戦』に、その一身をささげました。たくさんの子どもたちを、立派に育て上げ、社会へと送り出しました。
 孤児がいれば救済する。天災のたびに子どもの数は増えていきました。食べ物が底を尽き、何度も困窮しました。コレラが流行し、自らも生死の境をさまよいました。 しかし、いかなる困難に直面しても、決して諦めなかった。強い信念で、児童福祉への『挑戦』を続けました。 『為せよ、屈するなかれ。時重なればその事必ず成らん』」
 十次が児童福祉へ挑戦し続けたように、コロナ禍の速やかな終息のために、ウクライナの平和のために、そして、福音の前進のために、倦むことなく、祈り続けてまいりたいと思います。そして、どのような環境の中にあっても、万事を益としてくださる主が、マイナスをプラスに変えてくださいますように!「為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん!」(2022.7)

「すべてを支配しておられる神様」 ―主はあなたの造り主― 3

(3)「そのとき、神が、『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」(3節)

混沌とした世の中で、私達は、しばしば自分の人生や存在価値について考えさせられることがあります。また、人生の悩み、問題、病苦にぶつかったりして、心が暗くなり、どうしようもない時がありますが、そのような時、この聖句を口ずさみ、もう一度、神を仰ぎ見ることを通して、新たな希望と可能性が、心の中に湧き上がってくることを覚えるのです。

私達は、この世に存在しているゆえに、この世の支配(私達の社会や環境の影響・暗闇の力)を受けることは避けられないでしょう。しかし、聖書の中に、この世のいかなる重荷や誘惑にも屈することのなかった一人の人物を見ることができます。それが、「わたしは世の光です。わたしに従って来る人は、決して暗闇の生活をすることなく、命の光を持つことができます。」(現代訳 ヨハネ8:12)と言われた、神の御子、イエス・キリストです。

聖書にはそのことを象徴する一つの出来事が描かれています。
イエスが巡回伝道をしておられたある日、ガリラヤ湖で、弟子達と共に乗っておられた舟が激しい突風に出会ったことがありました。(マルコ4:35~41)ガリラヤ湖は、地形的には、周りを山に囲まれた谷にある湖といわれています。それで、しばしば、「吹き降ろしの強い風」が吹くことがありました。弟子達を襲ったのも、この激しい突風だったと推測できます。高波が生じ、波が打ち込んできて、舟がまさに、波に飲まれそうになった時、弟子達は慌てて、不安におのきました。そして、嵐の中で懸命に舟を守り、向こう岸へたどり着こうとしました。ところが、同舟(どうしゅう)しておられたイエスは、まるで、この激しい嵐を知らないかのように、「ともの方で、枕をして、眠っておられた」(38節)と記されています。このイエスの様子が、あまりにも呑気に見えたのでしょうか、弟子達は怒りを爆発させて、イエスを眠りから起こすと、「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」と問いただしました。すなわち、困った時の神(イエス)頼みという訳で、弟子達は主イエスになきついて、必死で助けを求めたのです。 続きを読む

「すべてを支配しておられる神様」 ―主はあなたの造り主― 2

(2)「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(2節)

これは、有名な「天地創造」の創世記の冒頭の御言葉です。天地の創造の次第は、地は形なく、やみが大いなる水の上にあり、神の霊が水の上を動いている原初の状態から始まります。すなわち、カオス(chaos:天地創造以前の混沌とした状態)の状態に、歴史の始まりである創造主なる神だけが存在していたと聖書は語っています。
宇宙の最初の状態がカオスであったということは今日、科学者も認めていることですが、この状態から、世界は「神の言葉」によって、秩序へと向かっていったのです。そして、この混沌とした中に、「光よ。あれ。」という神の言葉が響いた時に、闇は打ち砕かれ光が生じ、更なる、神による創造と秩序の世界が広がっていきました。すなわち、神は材料も道具も用いずに、「神の言葉」によって創造を進められました。
この箇所を現代訳の聖書で見ると、より深い、聖書の真理に触れる思いがします。
「地球とは言っても、まだ形が無く、混沌としており、真暗闇で、液状であり、神の御霊は、あたかも雌鳥がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた。」  (2節)
神の恵みを体験したい、神の祝福に与かりたいと真剣に願うなら、私達は常に、「無からの創造」と呼ばれるものに挑戦しなければいけません。すべてのものの背後に神がいまし、神のみがいますという信仰(信じる力)に立たなければいけないのです。常に、この世界は神の世界であると信じ、世界を支配しておられる全能にして愛なる神様は、日夜、御自分に対して祈り叫ぶものに積極的に密接な関わりを持とうとしておられると信じなければいけないのです。 続きを読む

「すべてを支配しておられる神様」 ―主はあなたの造り主― 1

世界のベストセラー聖書は、天地万物を造られた全知全能の神の創造の歴史を持って初められています。聖書の最初の御言葉、創世記1章1~3節より次の3つの点について学んでみたいと思います。

  • (1)「初めに、神が天と地を創造された。」(1節)
  • (2)「地は形なく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(2節)
  • (3)「そのとき、神が、『光よ。あれ。』とおおせられた。すると光ができた。」(3節)

(1)「初めに、神が天と地を創造された。」

 江戸時代に、この聖書の1節に衝撃を受け、その人生が全く変えられた人物がいます。後に、同志社大学を創立した、新島譲です。
 新島氏のように、この聖書の言葉を読んだだけで、この万物(私たち人間を含む)が決して偶然によって造られたものではなく、創造主の愛の対象として目的を持って作られたことを悟り、信じることが出来たとしたら、それは、大いなる恵みであり、祝福であるといえるでしょう。そして、さらに、聖書は、この万物の源であられる神様は、私たち一人一人をもその母の胎の中にいるときより恵みの中に育み創造して下さったといっています。 続きを読む

「永遠に残るもの」  ― 「生死学」と聖書 ―

「人は皆草のようで、その栄華は、
皆、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。
しかし、主の御言葉は、とこしえに残る。」 (現代約Ⅰペテロ 1:24)

親しい人、特に、肉親の死に直面する時、私達は、人生には終わりがあることを改めて自覚します。そして、死者に対する愛情が細やかで深いほど、悲しみも尽きないものです。しかし、上の御言葉は、これらの暗い現実を払拭し、新しい希望の光を私達の未来に与えてくれる思いがします。
「死」、それは、信仰のない世界では、永遠の別れを意味します。死はいつ訪れてくるかは分からないし、人はどんなにもがいても死を避けられない事実を自覚し、死の不安におびえざるをえません。彼らにとって、死は依然として完全な謎なのです。
「死」という言葉がまだタブー視された日本で、約40年前から「生死学」という新しい概念を教え、定着させてきたアルフォン・ディーケン氏(上智大学名誉教授・ドイツ生まれ)という人物がおられますが、彼が「死と生とユーモア」という講演の中で次のようなことを言ったそうです。 続きを読む

「人生の荒野を通して」

おおきな事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるように病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を楽しもうとあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにといのちを授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。
神のみこころにはそわない者であったにもかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中で最も祝福されたのだ                                 

この詩は、ニューヨーク市立大学のリハビリテーション研究所の壁に刻まれているものですが、作者は不祥とされています。ベトナム戦争で心身ともに深く傷つきながら、立ち直っていった若者の作とされています。 続きを読む

「信仰」と「癒し」 スピリチュアル・ヒーリング療法

「日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いていやされた。」                           (ルカ4:40)

「病人に手を置けば病人はいやされます。」      (マルコ16:18)

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のみもとに行くからです。」           (ヨハネ14;12)

癒しという言葉が現代社会のキーワードとなり、リラックスをすること、また、ストレスから解放されることを求める人達の需要は年々高まって来ています。そこで、今回の「チャペルだより」では日本ではあまり知られていない、「スピリチュアル・ヒーリング療法」について考えてみたいと思います。 続きを読む