《励ましショートメッセージ:心の健康が育む、年齢にとらわれない「青春」》

「御年93歳、今もなお毎月『万葉集』のセミナーを開き続けておられる村田忠氏。そのお姿は、『青春とは年齢ではなく心のあり方である』という言葉をまさに体現しています。戦争、父との早すぎる別れ、就職難など、数々の試練を乗り越え、希望をもって歩まれる姿は、多くの人々に勇気を与えています。村田氏の原動力は『心の健康』。
『一生修行、生涯青春』を座右の銘とし、『心は努力しだいで、いくつになっても成長できる』という信念を貫いておられます。」(参考資料「致知」2025年6月号)

この村田氏の生き方は、松下幸之助氏の次の言葉とも重なります。
「青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たに創造の泉をわかす精神である。年を重ねても、心の若さを失わず、常に新しいことに挑戦する気持ちを持ち続けることこそが、真の青春である。」
また、アメリカの思想家サミュエル・ウルマンも、こう記しました。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方である。」
仏教哲学者・鈴木大拙は言います。
「老いるとは、肉体ではなく、心が日々をあきらめていくことにある。」
さらに、明治の教育者でありクリスチャンでもあった新渡戸稲造は、こう述べています。
「人は信ずるところがある限り、老いない。」
このように、時代も立場も異なる先人たちが語る「心の青春」。それは、「年齢ではなく、志や希望が人を若く保つ」という、人生を支える大切な真理なのです。

【聖書が語る、年齢を超える内なる力】
人生には、思いがけない困難や疲れが訪れることがあります。そんな時こそ大切なのは、「希望を持ち続けること」です。
聖書には、こんな力強い言葉があります。
「【天の神は】疲れた者には力を与え、勢いを失った者には活気をつける。
若者も倦(う)み、疲れ、若い男もつまずき倒れる。
しかし主【神】に望みを置く人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
(旧約聖書 イザヤ書40章29〜31節)
どんな年齢でも、希望を抱く限り、私たちの心には「青春」がよみがえります。
どうか今日という日に、あなたの心にも、天からの新たな力と希望が注がれますように。
病の中にある方には、癒しと平安が与えられますように。
問題を抱える方には、神の最善の道が示されますように。
今日も一日、神の恵みの中で、共に前を向いて歩んでいきましょう。

〜日々の小さな歩みの中に宿る力〜

この「神は細部に宿る(God is in the details)」という言葉は、西洋においても深く浸透していますが、日本の茶道に息づく精神性と驚くほど共鳴します。

世界的なベストセラーである「聖書」にも、次のような教えがあります。
「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」(ルカによる福音書 16章10節)。
これは、イエスが、日常の些細な行いの中にこそ、その人の真価が表れると説いた言葉です。小さなことへの誠実さこそが、大きな責任や信頼を築く礎となる―この普遍的な真理は、「神は細部に宿る」という千玄室大宗匠の精神と深く響き合います。

聖書と茶道―異なる文化と時代背景を持ちながら、この二つは「小さきことの中に、真理が宿る」という一点において、深く、そして美しく共鳴し合っています。

《イースタ―メッセージ》

《人生の苦難を乗り越えるための心構え》

多くの中小企業経営者に勇気と指針を与えた稲盛和夫氏は、自身も若い頃は恵まれた環境ではありませんでした。しかし、困難を乗り越え、運命を切り開いていく中で、次のような言葉を残しています。

この言葉から、大きなことを成し遂げた人は、人生の節目ごとに心を高める努力を惜しまなかったことが分かります。

また、カトリックの信仰を持ち、東京大学大学院人文科学研究科の博士課程を修了された鈴木秀子シスターも、人生の苦難について次のように語っています。

さらに、世界的なベストセラーである**「聖書」**にも、次のような教えが記されています。

このように、苦難は人生において避けられないものですが、それをどう受け止めるかによって、未来は大きく変わります。苦しみの中でも前向きに努力し、感謝の心を忘れずにいることで、やがて明るい道が開けるのです。

「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」

「1947年にインドが独立するまで、非暴力と市民的不服従の手法を用いて闘ったガンジー翁(おう:老人の尊称)の語る 「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」という言葉が響く。“いつ死でもよい今日、只今の生き方を”大切に、の覚悟と、”永遠に生きるかのように学ぶ”の誓願のもとに、一歩でも二歩でもより深く物事を探求したい、と願う朝夕(ちょうせき)である。」(参考資料:人間学を学ぶ「月刊誌」2025.3)ガンジーの言葉は、人生の生き方と学びの姿勢についての深い教えを含んでいると思われます。今この瞬間を大切に生きるべきであり、学びには終わりがなく、生涯を通じて続けるべきものであると言えるでしょう。挑戦心をわすれることなく、目の前の一日を全力で生きてまいりましょう。世界のベストセラー聖書にも、未来を過度に心配せず、今日を精一杯生きることが大切であることを教えている、次のような言葉があります。
【新約聖書マタイによる福音書 6:34】
「だから、明日のことを心配しなくてよいのです。明日のことは、明日自身が思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

「念じれば花開く」

石井十次に学ぶ

 日本には、クリスチャンが少ないと言われますが、歴史の節目に、しばしば、聖書の影響を受けた人々の活躍を見ることがあります。宮崎の地にも、その功績から「孤児の父」と言われている、岡山孤児院を創立した明治期の慈善事業家、クリスチャンの石井十次(1865~1914:宮崎県児湯郡出身)という人物がいます。 
 石井十次は、1865年(慶応元年)4月11日、高鍋藩士・石井万吉の長男として生まれ、17歳の時、宮崎病院長の荻原百々平(どどへい)医師と出会います。荻原医師より「医師になって多くの人を救ってみないか」と勧められ、十次は岡山県甲種医学校へ入学。同時に岡山基督教会の金森通倫牧師を紹介されて、キリスト教の世界観が十次の中で徐々に広がっていきます。金森牧師よりキリスト教の洗礼を受けたのは、十次19歳の時でした。 明治20年、岡山県邑久郡大宮村上阿知診療所で医学の学びをしている時に、四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かるのですが、このことがきっかけで、孤児救済事業へと導かれて行きました。預かる孤児が増えてくると、その資金集めに走り回る日々が続き、医者になるための勉強がほとんどできなくなりました。
 明治22年(1889)の正月「だれでも二人の主人に兼ね使えることはできない」(マタイ6:24)という聖書の一節を目にした十次は、「医者を志す者は他にもいる。自分の一生を孤児救済に捧げよう」と決心しました。十次はそのことを確認するかのように、6年間学んだ医学書などをお寺の境内で、燃やしてしまいました。 明治20年岡山に孤児教育会(後の岡山孤児院)を設立し、39年には1,200人にのぼる孤児を収容。(結果的に3000人以上の孤児を救済したとされています。)44年に宮崎県茶臼原に孤児院を移し、里親村づくりや孤児の労働による自立を指導しました。また、情操を豊かにするため「風琴(ふうりん=オルガン)音楽隊」を設立。 彼は、生涯を孤児救済にささげ、多くの孤児たちのために、まさしくキリスト者として「公」のために生きたキリスト教伝導者と社会事業家と教育家の全てを兼ね備えた救済事業家でした。
 十次の残した言葉に次のようなものがあります。「信じて疑うことなかれ、祈りて倦(う)むことなかれ。為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん」そして、この言葉の後半の部分が、平成28年1月、安倍晋三首相が国会で行った施政方針演説で用いられ、石井十次のことが広く知られるきっかけとなりました。 安倍首相は施政方針演説の「おわりに」という項で、次のように十次を紹介し、言葉を引用しています。「日本で初めての孤児院を設立した石井十次は、児童福祉への『挑戦』に、その一身をささげました。たくさんの子どもたちを、立派に育て上げ、社会へと送り出しました。
 孤児がいれば救済する。天災のたびに子どもの数は増えていきました。食べ物が底を尽き、何度も困窮しました。コレラが流行し、自らも生死の境をさまよいました。 しかし、いかなる困難に直面しても、決して諦めなかった。強い信念で、児童福祉への『挑戦』を続けました。 『為せよ、屈するなかれ。時重なればその事必ず成らん』」
 十次が児童福祉へ挑戦し続けたように、コロナ禍の速やかな終息のために、ウクライナの平和のために、そして、福音の前進のために、倦むことなく、祈り続けてまいりたいと思います。そして、どのような環境の中にあっても、万事を益としてくださる主が、マイナスをプラスに変えてくださいますように!「為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん!」(2022.7)