春の風がやさしく吹き、自然が新しい命で彩られるこの季節。私たちの心もまた、ふと立ち止まって、新たな歩みを考えるときかもしれません。昨日(2025.4.21)は「イースター(復活祭)」――キリスト教では、(人類の罪の身代わりとして)十字架で命を落としたイエス・キリストが三日後に死を打ち破りよみがえったとされる日です。
この出来事は、絶望の中に差し込む希望の光として、今も世界中で多くの人々の心を励ましています。
聖書には、キリストのこのような言葉があります。
「わたしはよみがえりです。いのちです。私を信じる者は死んでも生きるのです。」
(ヨハネによる福音書 11章25節)
この言葉は、悲しみに沈む人に向けて語られたものでした。
どんなに深い闇の中にあっても、希望は決して消えない。
生きる力は、いつでも、どんなところからでも、再び湧き上がってくる――そんなメッセージが込められています。
私たちも、日々の暮らしの中で、思い通りにならないことや、予期せぬ困難や病気に苦しむことがあります。しかし、忘れないでいたいのは、「今がすべて」ではないということ。
日本の思想家・内村鑑三は、こんな言葉を残しました。
「希望は常に、絶望の淵において生まれる。」
それは、人生のどん底でこそ、ほんとうの希望が芽を出すという真理を語っています。
イースターはまさに、そのような「再生」の物語です。
どうか今日という日が、あなたにとって、心が少し軽くなり、新しい息を吸い込める、そんな「小さな甦り」のきっかけとなりますように!
作成者アーカイブ: kitamura
《人生の苦難を乗り越えるための心構え》
多くの中小企業経営者に勇気と指針を与えた稲盛和夫氏は、自身も若い頃は恵まれた環境ではありませんでした。しかし、困難を乗り越え、運命を切り開いていく中で、次のような言葉を残しています。
「災難や苦難に直面しても、嘆かず、腐らず、誰かを恨まず、不満を言わず、ただ前向きに努力を続けることが大切です。いま経験している苦しみは、未来のより良い出来事のために、また自分が成長するためにあるのだと信じ、耐え抜き、むしろ感謝する気持ちを持つことが重要です。
反対に、良いことが起こった時は、決して驕(おご)らず、偉ぶらず、謙虚さを忘れないこと。『こんな素晴らしい機会に恵まれてよいのだろうか』と、感謝の気持ちを持つことが、素晴らしい人生を生きるための絶対条件です。」
—(参考:「致知」2025年4月号)
この言葉から、大きなことを成し遂げた人は、人生の節目ごとに心を高める努力を惜しまなかったことが分かります。
また、カトリックの信仰を持ち、東京大学大学院人文科学研究科の博士課程を修了された鈴木秀子シスターも、人生の苦難について次のように語っています。
「人生では、愛する人の死や病気、天災など、自分の力ではどうにもならない出来事が起こることがあります。逃げたくても逃げられないそんな時こそ、私たちは忘れてはいけません。どんなに辛い出来事にも、必ずプラスの面があるのです。
私たちの人生の目的は、魂を成長させることにあります。一見マイナスに思える出来事も、それを魂の成長の糧と信じ、小さなことでも真心を込めて取り組んでいくことで、新しい道が開けます。そして、その試練を乗り越えた時、私たちは一回りも二回りも大きく成長しているはずです。」
—(参考:「致知」2025年3月号)
さらに、世界的なベストセラーである**「聖書」**にも、次のような教えが記されています。
「それだけではなく、私たちは苦難さえも喜びます。それは、苦難が忍耐を生み、忍耐が練られた品性(人格の成長)を生み、そして練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は、決して私たちを失望させることがありません。」
—(ローマ人への手紙 5:3-5)
このように、苦難は人生において避けられないものですが、それをどう受け止めるかによって、未来は大きく変わります。苦しみの中でも前向きに努力し、感謝の心を忘れずにいることで、やがて明るい道が開けるのです。
「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」
「1947年にインドが独立するまで、非暴力と市民的不服従の手法を用いて闘ったガンジー翁(おう:老人の尊称)の語る 「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」という言葉が響く。“いつ死でもよい今日、只今の生き方を”大切に、の覚悟と、”永遠に生きるかのように学ぶ”の誓願のもとに、一歩でも二歩でもより深く物事を探求したい、と願う朝夕(ちょうせき)である。」(参考資料:人間学を学ぶ「月刊誌」2025.3)ガンジーの言葉は、人生の生き方と学びの姿勢についての深い教えを含んでいると思われます。今この瞬間を大切に生きるべきであり、学びには終わりがなく、生涯を通じて続けるべきものであると言えるでしょう。挑戦心をわすれることなく、目の前の一日を全力で生きてまいりましょう。世界のベストセラー聖書にも、未来を過度に心配せず、今日を精一杯生きることが大切であることを教えている、次のような言葉があります。
【新約聖書マタイによる福音書 6:34】
「だから、明日のことを心配しなくてよいのです。明日のことは、明日自身が思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
「念じれば花開く」
「念じれば、花開く」(詩人・坂村真民)
この言葉は、何事も一生懸命に祈るように努力すれば、自ずと道は開ける、夢や目標は実現できるということを教えています。
「念」という字を分析してみると。「今」と「心」に分かれます。すなわち、「今」やるべきことに、「心(魂)」をいれて、全力を挙げることが大切であるということです。
坂村真民先生の語られた、次の言葉も大変すばらしいと思います。
「〇一に求道、二に求道、三に求道、四に求道、死ぬまで求道。
〇なにごとも本腰にならなければいい仕事はできない。新しい力も生まれてこない。本気であれ。本腰であれ。
〇最高の人というのは、この世の生を精いっぱい、力いっぱい、命いっぱい生きた人。」(参考資料:人間学を学ぶ月間誌「致知」2024.10)
古今東西を問わず、私たちの心に響く言葉には、共通したものがあると思います。
世界のベストセラー聖書も、何事も真剣に取り組むことの大切さについて、次のように教えています。
[マタイの福音書 7:7]
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
勿論、神を求め、神を愛することにおいても、同じことが言えます。
[マタイの福音書 22:37]
イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』、、、」
皆様の日々の生活の中に起こってくる問題に、神様が解決を与えて下さいますように!
病の中にある方には天よりの力を癒しが与えられますように!
今日も、一日、頑張ってまいりましょう!
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ハレルヤ
石井十次に学ぶ
日本には、クリスチャンが少ないと言われますが、歴史の節目に、しばしば、聖書の影響を受けた人々の活躍を見ることがあります。宮崎の地にも、その功績から「孤児の父」と言われている、岡山孤児院を創立した明治期の慈善事業家、クリスチャンの石井十次(1865~1914:宮崎県児湯郡出身)という人物がいます。
石井十次は、1865年(慶応元年)4月11日、高鍋藩士・石井万吉の長男として生まれ、17歳の時、宮崎病院長の荻原百々平(どどへい)医師と出会います。荻原医師より「医師になって多くの人を救ってみないか」と勧められ、十次は岡山県甲種医学校へ入学。同時に岡山基督教会の金森通倫牧師を紹介されて、キリスト教の世界観が十次の中で徐々に広がっていきます。金森牧師よりキリスト教の洗礼を受けたのは、十次19歳の時でした。 明治20年、岡山県邑久郡大宮村上阿知診療所で医学の学びをしている時に、四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かるのですが、このことがきっかけで、孤児救済事業へと導かれて行きました。預かる孤児が増えてくると、その資金集めに走り回る日々が続き、医者になるための勉強がほとんどできなくなりました。
明治22年(1889)の正月「だれでも二人の主人に兼ね使えることはできない」(マタイ6:24)という聖書の一節を目にした十次は、「医者を志す者は他にもいる。自分の一生を孤児救済に捧げよう」と決心しました。十次はそのことを確認するかのように、6年間学んだ医学書などをお寺の境内で、燃やしてしまいました。 明治20年岡山に孤児教育会(後の岡山孤児院)を設立し、39年には1,200人にのぼる孤児を収容。(結果的に3000人以上の孤児を救済したとされています。)44年に宮崎県茶臼原に孤児院を移し、里親村づくりや孤児の労働による自立を指導しました。また、情操を豊かにするため「風琴(ふうりん=オルガン)音楽隊」を設立。 彼は、生涯を孤児救済にささげ、多くの孤児たちのために、まさしくキリスト者として「公」のために生きたキリスト教伝導者と社会事業家と教育家の全てを兼ね備えた救済事業家でした。
十次の残した言葉に次のようなものがあります。「信じて疑うことなかれ、祈りて倦(う)むことなかれ。為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん」そして、この言葉の後半の部分が、平成28年1月、安倍晋三首相が国会で行った施政方針演説で用いられ、石井十次のことが広く知られるきっかけとなりました。 安倍首相は施政方針演説の「おわりに」という項で、次のように十次を紹介し、言葉を引用しています。「日本で初めての孤児院を設立した石井十次は、児童福祉への『挑戦』に、その一身をささげました。たくさんの子どもたちを、立派に育て上げ、社会へと送り出しました。
孤児がいれば救済する。天災のたびに子どもの数は増えていきました。食べ物が底を尽き、何度も困窮しました。コレラが流行し、自らも生死の境をさまよいました。 しかし、いかなる困難に直面しても、決して諦めなかった。強い信念で、児童福祉への『挑戦』を続けました。 『為せよ、屈するなかれ。時重なればその事必ず成らん』」
十次が児童福祉へ挑戦し続けたように、コロナ禍の速やかな終息のために、ウクライナの平和のために、そして、福音の前進のために、倦むことなく、祈り続けてまいりたいと思います。そして、どのような環境の中にあっても、万事を益としてくださる主が、マイナスをプラスに変えてくださいますように!「為せよ、屈するなかれ。時重なれば、その事必ず成らん!」(2022.7)
